昨日、母方のばーちゃんのお通夜に行って来た。

ばーちゃん、ボケてからホーム暮らしだったから、ずっと会ってなかったけど、遺影のばーちゃんはとてもいい顔で笑ってた。

元気な頃の写真…

久々に会った気になって、うるっときた。

土曜の朝、「危篤」の連絡
母は、電話を切るなり「ばーちゃんあぶないって」

半分、泣き崩れながら唇をかんでた。

土日と様子を見て、少し回復したからと、帰ってきた母は、何処かおびえている様にも見えた。
そして、その日の夜中2時、寝ようかと実家に戻ると、ちょうど母の充電してた携帯がなっていた。

あぁ…、逝ったか。
すぐ、わかった。

急いで、母をおこし、電話を渡した。

もう覚悟をしていたんだろうね。
おじさんからの電話にただ頷いていた、「ばーちゃん亡くなったって」

かぼそい声で、教えてくれた…

僕は、向島の祖父母のめかしこんだ姿を見たことがない。
いつも、Tシャツ、ステテコ、腹巻で働く祖父
薄着でエプロンの祖母
和菓子屋で休日も家と違うから、いついっても働いてた。

多分、がむしゃらに働いて、ひたむきに生きてきた、それこそ、おしゃれもせずに…
息子の数のビルを建て、店も改築して、娘にはお金を残して、安心したように数年前に逝った祖父

亡くなってから、聞いた話。
近所では、○○銀行と呼ばれてたらしい。
よぼよぼで、粗末な身なりで、毎日のようにスーツ着た銀行の営業さんが会いに来る姿が周りからは異様に見えたのだろう。

周りにどう見られようが、それこそ学校も出ていない祖父が「一財」を築き人生を全うした姿に、僕は人として、職人として、孫として心の底から尊敬している。

僕が祖父母の家に行くのは、年数回。
決まった行事の時だけだ。

「嫁に言ったのだから、ちょくちょく顔出すな!」
敬語交じりで「お宅はどうなんだい?」って感じで母にも話す。
そんな感じの祖父だった。

嫁に出したのだからと、一線を引いた感じなのだろう。
娘なのだから、「大切」なのは見てればわかったけど。

そんな祖父が逝って、すぐ、祖母は痴呆になった。
そして、程なく足腰を悪くし、寝たきりで老人ホームに入った。

僕が祖父母の家に行くと、すぐ和菓子やお餅の入ったショーケースを裏から眺めた。
もちろん食べたいから(笑)
なに食べる、いつも笑顔で出してくれるのは祖母だった。
夏は、かき氷にあんみつ、冬は饅頭や大福、僕の甘党は祖母の優しさで出来ている(´0ノ`*)

小さい頃、ラムネのビンに入ったビー球がどうしても欲しくなって、裏手の空のビンを沢山持ち出し横手の公園で全部割った。
も~ビー球いっぱい、割れビンいっぱい(笑)。
もちろん、母に殴られ~の、怒られ~の∑(-x-;)

でも、祖母は、ビー球きれいだよね~て、わらって許してくれた。
今にして思えば、あれ結構な損害だったはずなんだけど((゚m゚;)

そんな、いつも笑顔の祖母だった。

学生ぐらいになると、年末、孫はバイトに借り出される。
鏡餅や赤飯の注文が殺到するからだ。

それこそ、ドラム缶十数杯のもち米を洗うトコから作る。
一番の力仕事、蒸篭でコメを蒸すのは、本家の従兄弟のを抜かせば、僕ら兄弟が年長だから、よくやった。
夜中の2時ぐらいからボイラーつけて、蒸篭を10段以上積んで、蒸しては石臼に入れてまたコメ入れて積みなおす。
真冬だけどめちゃめちゃ暑くて、コメ満載の蒸篭はかなり重く、休みなしに昼近くまで続く、かなりの重労働だ。
横ではおじさんが、餅を搗いて、できた餅を、祖父母や従兄弟のニーちゃん・職人さんとかが加工する。

なれた手つきで、大きいのやら、小さいのやら、色々作る。
簡単に見えて以外に難しい。
それこそ、一流の料亭やホテル、老舗のお店の店頭に飾るための物だからね。
中に切り餅入った鏡餅とは、意味合いが違う縁起物!
まるで命を吹き込むかの如く…。

僕が、パンの職人になったのも、染み抜きの職人続けるのも、バッグやカワモノ作るのも、そんな姿を見てきたからかもしれない。

作り手、職人に「あこがれ」や「粋」を感じていたのかも。

まっすぐ生きたじーちゃん
それをずっと支えたばーちゃん

天国で会えたかな。

ふたり仲良くやってるかな~。